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2017-12-27(Wed)

安田くんへの「5ヶ月停学」吹き飛ばせ!!

いい加減にしろ!
「自由の学風」に管理者はいらない!



★安田君の停学に向け最終ステップ
 多くの学生が管理教育に憤る12月25日、同学会副委員長・安田淳敏君=文学部4回=に厚生課から1通のメールが届きました。安田君を「停学5月」(有期停学としては最長)に処すよう文学部から山極総長への上申があったため、審査のため1月9日までに陳述書を提出せよというのです。
 処分の最終決定は総長の独断に委ねられており、「陳述の機会」は形式的に与えられているにすぎません(おまけに提出方法はコストのかかる「郵送」に限定)。

★当局の存在こそ暴力
 そもそも問題とされている安田君の行為は、オープンキャンパス中の弾圧職員に抗議したことです。「人材工場」に成り下がった京大にとって学生の自由な活動は邪魔なので、見学生への宣伝活動が一方的に禁止されていたのです。そのためなら、殴る蹴るの暴行を一切行っていない安田君に対してタックルを仕掛けたり(速水徹)、わざと転んで安田君の暴力を演出したり(学生課長・平井)ということが平然と行われました。
 このような事実を踏まえ、安田君は10月27日に行われた「聴き取り調査」で、当局が悪意をもって描写した「行為・言動」について証拠を求めたほか、抗議文を提出しました。山極はこれについて「反省の情がなく看過できない」としています。まったくのブーメランです。

★逮捕→釈放の時点で無用の制裁
 10月31日、弾圧職員に抗議したことが「公務執行妨害」であるとして安田君は逮捕されました。推定無罪の原則を無視して18日間拘留されたこと自体、極めて重い制裁といえます。その挙句、司法は逮捕の正当性を法廷で証明することができませんでした(11月17日釈放)。この上さらに何らかの制裁を課すことはいかなる機関にも許されません。

★そもそも「懲戒」が非教育的
 「京都大学通則」には、ルールに違反し、学生の本分を守らない者を懲戒する旨が書かれています。そして「京都大学学生懲戒規程」によれば、「停学」とは「学生としての権利を停止すること」です。
 第一、学生の権利や義務を当局が一方的に押し付けたらろくなことになりません。実際、「懲戒規程」に定められた「学生の本分」は大学や権威に隷従することです。このような規程にもとづいて、学生から授業を受ける権利を奪うことこそ教育者の本分に反します。

★京大1万学生の反撃を!
 当局は安田君への通知と前後して、「立看板規程」改定や吉田寮生への「在寮期限通告」を打ち出し、学生自治の全面破壊へと突き進んでいます。利権にまみれて軍事・経済両面からの殺し合いに舵を切る理事どもが、大学の秩序を司ることは1秒たりとも認められません。当局を解体し、学生・研究者の手に大学を取り戻してこそ、初めて「自由の学風」は実現します。
 中執は安田君への処分取りやめを求める署名運動を始めました。すべての京大生は管理体制・総長独裁に「NO」の声をたたきつけよう!

同学会中執
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2017-12-20(Wed)

新「京都大学立看板規程」ナンセンス!

12月19日に制定された新しい「京都大学立看板規程」を徹底弾劾します!
規程 → http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/organization/other/revision/documents/h29/t69-29.pdf


京都市による「景観条例指導」と一体
 このかん、「京都市景観条例」による立て看板規制が問題になっています。11月14日、川添副学長は「京都市から条例違反だと指導されたのでキャンパス周辺に設置するな」と学内に通知しました。
 なぜ2007年に作られた「景観条例」が今になって京大に適用されるのか? 京都市長の門川大作は京大経営協議会の委員。打ち合わせの上で、このかんの学生の看板に対する執拗な無断撤去などの京大当局の看板規制を正当化するための「指導」に他なりません。
 実際に、早速12月19日付で「京都大学立看板規程」が作られ、5月1日にも施行される運びとなっています。

「立看板規程」で何が変わるのか?
 この「立看板規程」の骨子は、①設置できるのは公認団体のみ(30日経ったら撤去)、②新歓と11月祭関連でのみ、非公認の学内団体も設置できる、③一団体につき1枚、責任者の氏名・連絡先を明記した2×2メートル以内の看板のみ、④設置場所は当局が指定する、⑤当局は理由をつけて看板を無断撤去することができ、その費用を学生に請求できる、⑥当局の看板は規程の適用外、となっています。つまり内容も含めて立看板を全面的に当局の管理下に置く、ということです。
 これが適用された場合、おそらく看板の設置場所は吉田グラウンドの南側のみになるでしょう。さらに「公認」かどうかは当局が勝手に決めるため、実質的に看板の内容は「イベントの宣伝」「サークル員募集」に限られ、「主張」、特に当局を批判したり政治的内容を含む看板は完全に規制されることに。しかも2×2メートル以内! そして勝手に撤去して学生にカネを要求する。とんでもない悪徳業者です。
 こうしたことが、当事者である学生と関係ないところで勝手に決められて押し付けられるのです。そもそも京大当局は、2005年に尾池総長(当時)が「立て看板は京大の文化」と明言。2011年には正門前看板の無断撤去を謝罪して、今後の討論を確約していました。勝手にルールを破る奴の押し付けるルールに、なぜ従わなければならない?

立て看板のない京大は京大じゃない
 多くの京大生は、入学当時立ち並ぶ立て看板を見てワクワクしたのではなかろうか? 色とりどりの看板に、面白い先輩方の存在を感じたのではないか? 学生が思い思いの主張を看板という形に昇華させ、周囲に呼びかける。作品に込められた思いに共感したり、あるいは反感を覚えたりもしながら、出会い、輪を広げ、あるいは切磋琢磨の中でレベルを上げていく。実に学問的であり、自由であり、京大の文化の根本を形作ってきたのが立て看板です。逆に立て看板がなくなった時のことを想像してほしい。実に狭量で、面白味がないと思わないだろうか。
 最近特に立て看板の規制が強まっていますが、そもそも「京都大学学内掲示等規程」では「縦220センチメートル、横40センチメートル以内」と定められています。京大生の自由な活動によって、勝手なルールを有名無実化させる力関係を築いてきたのです。学生が自粛せずに闘うかどうか、ここが最大の焦点です。
 同学会中執は、立て看板を出すことを奨励し、支援します。ノウハウがない、資金がないという方はぜひご相談を!

京大当局はなぜ立て看板にこだわるのか?
 京大当局が規制したいのは、直接に立て看板ではなく、それを通じた学生の出会いとパワーに他なりません。先日の熊野寮祭企画への警察導入も同じです。
 04年制定の「国立大学法人法」に基づき、今や大学の経営には文科省官僚や独占大企業の経営者、市長や知事が入り、大学を支配しつつあります。例えば原発産業を見ても、彼らは研究者や学生を組み敷いて真実を隠ぺいし、大学を国や企業の外注機関にすることで利益を得ます。最近でも京大発ベンチャーのブラック企業ぶりが話題になっています。「景観条例」にしたって、目的として掲げられているのは「京都ブランドの強化」に「投資の拡大」。
 ことの本質は、学生から自治と自由、共同性とパワーを奪って奴隷にすることです。そうすれば、軍事研究でも改憲でも朝鮮戦争でも労働法改悪でも、何でも「静かな環境」で実現できる。大学の不自由が生みだすものは権力者の自由です。やるかやられるか、そこに妥協の余地はありません。徹底抗戦しよう!
 逆に言えば、京大生の自治と自由が権力者に不自由を強制してきたからこそ、これだけなりふり構わない弾圧が来ているのです。労働法改悪―天皇交代―改憲―オリンピックという「祖国防衛」イデオロギーからの世界戦争というシナリオを革命的にぶっ飛ばす力は、実は私たちの中にあります。12月12日には「京都大学当局による学生自治破壊を許さない会(仮称)」が作られ、全国的な運動がはじまっています。京大学生運動を、もっともっと発展させていこう!

天皇即位なんて知ったこっちゃねえ!
施行日の5月1日メーデーを、京大生の闘いの日にしよう!


(作部)
2017-12-04(Mon)

熊野寮祭への警察導入をゆるさない!

◆ 京都府警を時計台に引き入れた京大当局
 11月29日(水)と12月1日(金)、時計台に登頂する熊野寮祭イベントが敢行されました。これに対して京大当局は、告示第15号で参加者への「学内処分」「警察に通報」を宣言し、11月29日には50人近い職員を動員して妨害し、12月1日には実際に学内に京都府警を引き入れてイベント破壊に乗り出しました。同学会中執は、京大当局による学生の活動への妨害、自治破壊を弾劾します!
 現場に来た五十川・川端署警備課長は「大学から110番があった」と明言。実際に、京大職員が学内に警察を案内したうえで、ポーチの上にのぼった学生を警察と一緒になって無理やり時計台の中に引きずりこんでいます。更には一部の学生を部屋に鍵をかけて閉じ込め、京都府警が事情聴取を行なうという事態にまで発展しています。
 職員や警察と激突しながらも、登頂に挑戦し続けた熊野寮生ならびに参加されたみなさんのチャレンジ精神に心から敬意を表します! 彼ら・彼女らが示してくれたものこそ、権力に屈しない学生の無限の可能性とエネルギーだと思います。

◆ 時計台にのぼるのは素晴らしいことだ
 勝手ながら、時計台にのぼることの素晴らしさについて語ります。このイベントは、言ってみれば時計台にのぼってしゃべって降りるだけです。迷惑だとか危ないとか、ばかばかしいと思う人も多いかもしれません。しかし登山だって、入念な準備を行って、できるだけ安全確認をしながら危険な行軍をやりぬく。理由は「そこに山があるから」。無意味じゃないのです。そこでしか見えない景色があるのです。普段見るだけ・入るだけの時計台が登るものに変わる。少しだけ認識が変わって、建物を見るたびに「これ登れそうだな」とか考えて、力を合わせたら他にもいろんなことができるんじゃないかと発想が膨らんでいく。そういう学生の無限の可能性とエネルギーを自由に爆発させ、常識を塗り替えていく場こそ大学ではないでしょうか? 天動説が地動説に塗り替わっていくのも、政治権力のからんだ文字通りの「闘い」だったわけです。
 だからこそ、それをただただ暴力的につぶそうとする京大当局ほどつまらないものはありません。何より、社会のため、すべての人々のための大学を私物化して、総長先頭に「施設管理権」を振りかざして学生の活動をとことん弾圧する姿勢は目も当てられません。立て看板規制や度重なる処分・逮捕、話し合いの拒否、進むカリキュラム改革……。時計台占拠は、こうした京大にはびこる不自由さをぶちやぶる学生のパワーが結集したイベントとなりました。

◆ 弾圧粉砕し、京都大学を人類解放の砦に
 2014年に学内に侵入した京都府警の公安刑事が摘発されたいわゆる「京大ポポロ事件」の際に、川端署は「警察官がキャンパスに入るのは、基本的に殺人事件などが発生した場合だけ」と宣言しています。国家権力に取り込まれて学問の自由を奪われることがないように、「大学の自治」を守ってきた歴史があるからです。
 しかし山極壽一が総長に就任して以来、「大学当局自らが通報する」という形で学府への警察導入が進んで来ました。反戦バリストへの刑事告訴を発端に、立て看板撤去やビラまき妨害に抗議した安田くん・阿津くんを逮捕させるところまで進んでいます。そしてこうした変化の背景には、安倍政権のもとでの強硬な大学改革の存在があります。
 予算配分を通じた研究者同士の競争と、自由のはく奪。学生への言論弾圧。社会全体で見ても、共謀罪の導入や、労働者の政治活動に対する攻撃が強まっています。こうした暴力的な弾圧の先に準備されているものこそが、改憲であり、朝鮮侵略戦争です。日常の閉塞感を打ち破るのは、キャンパスや職場から弾圧を打ち破る闘いであり、団結した力です。時計台占拠は、学生の力の一端を解放しました。だからこそ、それとしては単なるお祭りに過ぎないこのイベントに対して京大当局は過剰に反応し、多くの社会的な反感を買うことを百も承知で弾圧に乗り出したのです。追い詰められているのは山極総長・川添副学長の方です。この弾圧を意識的に打ち破ったときに、京都大学を戦争ではなく、真に人類解放の砦として発展させることができます。

 12月12日、現在の京都大学における様々な弾圧、自治破壊に対して問題意識を持っている人を広範に集めて集会を開きます。学生は支配されるだけの存在じゃない! 反撃ののろしをあげよう!

◆ 12・12京都大学当局による学生自治破壊を許さない一日行動
12時~13時 @吉田南キャンパス総人広場周辺
18時半~ @京都教育文化センター202室
2017-11-28(Tue)

警察導入・立て看板禁止・飲酒禁止!? 自由と自治を守るのは私たち学生だ!

半年以上休止状態でしたが、断固再開します!(作部)

◆ 安田くん・阿津くんは無実! 山極は謝罪せよ!
 10月31日にオープンキャンパスでの「公務執行妨害」をでっち上げられて逮捕された安田くん・阿津くんの2人が11月17日に不起訴釈放されました!
 安田くんの取り調べにおいて、京大職員の撮影したビデオ映像をまとめた調書が確認されています。日付は逮捕前の10月26日。つまり京大当局は、わざわざ職員の撮った映像を京都府警に提供し、2人を逮捕させたということです!
 安田くん・阿津くんが抗議した職員によるビラまき妨害や無断撮影、看板の撤去はそれ自体が違法・無法行為であり、2人は無実です。釈放は当然です。言論弾圧業務と逮捕の責任者である山極壽一総長は、2人を逮捕させ犯罪者扱いしたことを謝れ!
 この件について30日に申入書を提出しに行きます。

◆ 立て看板の「全面許可制」導入を許さない!
 川添信介副学長名義で11月14日、「キャンパス周辺の立て看板は京都市の景観条例違反であり、学生は条例を守れ」という旨の通知が出されました。さらに11月25日朝日新聞DIGITALに掲載された“「京大の文化」立て看板、景観条例違反指導で学生ら困惑”という記事では、京大当局は設置場所を構内に限るだけでなく、「設置できるのは公認団体に限定。大きさや設置期間の基準をつくる」としています。立て看板をすべて許可制にして検閲するということです。
 条例が作られた07年以来、10年間放置していたのに、なぜ今なのか? そもそも「景観条例違反指導」を行った京都市の市長・門川大作は京都大学の経営協議会委員であり、市と京大当局ははじめから共犯です。山極・川添による度重なる立て看板の撤去、「ごりすこ」2名への懲戒処分の検討、撤去に抗議した学生の逮捕などと一体の言論弾圧です。看板を立てまくって粉砕しよう!

◆ 11月祭、最終日に飲酒全面禁止!?
 11月祭最終日の11月26日、11月祭事務局から「本日15時以降は京都大学構内での飲酒を全面的に禁止」「構内で種類を発見した際は、本部で回収」という通知が出されました。理由として「泥酔者が多数発生しており、多数の備品破壊のほか、ケガ人も発生」したことを挙げています。事務局単体でこのような異例の判断を下すとは考えられず、京大当局による介入があったのは間違いないでしょう。
 他の大学では、学祭だけでなく全面飲酒禁止になったり、周辺での花見禁止(法政大学!)にまで進んだ例も。飲酒規制の本質は、学生からコミュニケーションツールを奪い、反抗の芽を摘むことにあります。飲酒が問題なのではなく、泥酔しそうなやつを周囲が止める人間関係や自治を破壊することの方が問題なのです。
 来年以降、11月祭での全面飲酒禁止、持ち込み禁止、学生を動員してのアルコール検知・入場規制と進んでいくでしょう。全学実行委員会を開かせ、徹底抗戦を!

◆ 熊野寮祭への警察導入を許さない!
 11月27日付告示第15号において、例年熊野寮自治会が行っている時計台に梯子でのぼるイベントは「建造物侵入」であり参加者に対して「学内処分を行う」「警察に通報する」と宣言しました。学生の活動に対する許しがたい破壊行為です!
 以前から京大当局は「危険」と言いなしてイベントへの妨害行為を繰り返してきました。しかし安全対策をして登る熊野寮生に対して、むしろ梯子を揺らすなどの危険行為を行っていたのは京大職員の方です。本当に守りたいのは学生の生命ではなく、大学のメンツと施設管理権です。
 熊野寮生をはじめ100人規模の学生が我が物顔で時計台にのぼり、普段感じることのない自由を謳歌し、団結する。この力が自分たちに向くことを京大の独裁者どもは恐れているのです。同学会中執は時計台にのぼることを断固支持します!
2017-03-28(Tue)

京大学部卒業式 式辞 (3/24)

山極総長は就任して以降、入学式や卒業式の式辞では対話と自由の学風、戦争問題に言及しています。しかし大学の情報公開連絡会は13か月連続で中止され、2015年に京大は米軍マネーを受け取っていたことも明らかになっています。朝鮮半島の戦争がいつ再開されてもおかしくない中で、総長は現実の戦争には一切言及していません。このねじれたあり方に今の日本の現状が表れてはいませんか。


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本日、京都大学を卒業される2,888名の皆さん、誠におめでとうございます。ご来賓の井村裕夫元総長、長尾真元総長、尾池和夫元総長、列席の理事、副学長、学部長、部局長をはじめとする教職員一同とともに、皆さんのご卒業を心からお祝い申し上げます。あわせて、今日の卒業式を迎えるまでのご家族および関係者の皆様よりいただいた数々の厚いご支援に対し、心より御礼申し上げます。京都大学が1897年に創立され、1900年に第1回の卒業式を迎えて以来、120年にわたる京都大学の卒業生の数は皆さんを含めて205,859名になりました。

 さて、皆さんは入学以来、どのような学生生活を送ってきたでしょうか。本日はぜひ、この数年間京都大学で過ごした日々のことを思い出してください。厳しい受験戦争を勝ち抜いて入学した皆さんは、京都大学にどんな期待や夢を抱いていたでしょうか。今日、卒業式を迎えるまでの数年間、それは叶えられたでしょうか。それとも、その夢は大きく変貌を遂げたのでしょうか。そして、皆さんがこれから歩んでいこうとされる道は、そのころの夢とどうつながっているのでしょうか。

 昨年の秋、私は44年ぶりで志賀高原にある京大ヒュッテを訪れました。私が大学の2回生まで、ここでノルディックスキーの練習に励んだ思い出の場所です。昔の仲間たちがたくさん集まり、当時の話に花が咲きました。私の進路は、このヒュッテの生活で大きく変わったのです。

 私が1回生の秋に、作家の三島由紀夫が東京市谷の陸上自衛隊総監室で割腹自殺をしました。それを私は西部の生協食堂のテレビで見ました。大きな衝撃でした。目の前で繰り広げられた割腹自殺という前時代的な行為が、つい25年前の戦時中に当たり前のようにしてあったことを思い出したのです。また、そのとき三島たち盾の会が掲げた「憲法改正によって自衛隊を軍隊にしよう」という檄文に、自衛隊員ですら誰も従おうとはしなかったのです。私は日本人の身体を支配していた憑き物が、崩れ落ちていくのを感じていました。しかし同時に、自分のこの世における存在の意味に対する問いが浮上しました。

 人間は自分の意思で生まれてくるわけではありません。この時代に生きていくことにどんな意味があるのか。人の身体や心にはどんな制約が科せられているのか。人が身体を賭して守りたいものとは何だろう。私はそれを知りたいと思うようになりました。未経験のノルディックスキーという競技に打ち込んだのは、ひたすら自分の身体の可能性を知りたいと考えたからかもしれません。そして、ある日雪の上でニホンザルを観察している人に出会い、京都大学に奇妙な学問があることを知りました。人間の身体をいったん離れ、サルになって人間をながめるという霊長類学です。その発想の面白さに感動した私は、雪山でサルの観察を始め、やがてアフリカの熱帯雨林でゴリラを追う日々を送ることになったのです。今から考えれば、偶然とはいえ、不思議な出会いだったと思わずにはいられません。

 総長になる数年前、私は思いがけず、その頃の問いに再会することになりました。それは、20世紀前半の思想を代表するスペインの哲学者オルテガ・イ・ガシェットの、Man has no nature, what he has is history という言葉です。この言葉の当否をめぐって、文化人類学者と生物人類学者が二人ずつ、自分の意見を述べ合う討論会が英国のマンチェスター大学で開かれたのです。そこに招待された私は、生物人類学者の立場から、それまで私が体験してきた霊長類学を用いて自分の意見を述べました。霊長類一般に広く見られる近親者との交尾を避けるという傾向を用いて、人間は近親相姦を禁止する規範を作り、それは未だに人間社会の根本原理になっている。だから、Man is still traveling between nature and historyと述べたのです。人類学・民族学国際連合の会場で、私の意見は少なからぬ参加者の賛同を得ました。オルテガの生きた時代、人間と自然を峻別する時代に、私の意見が受け入れられたはずはありません。1世紀を経て、人間観が大きく変わったこと、生物としての人間の意味を考えねばならない時代であることを私は強く感じました。

 大学という場所は知的探求の場であると同時に、生きる力を養う場でもあります。オルテガは、大学教育を、1)教養(文化)の伝達、2)専門職教育、3)科学研究と若い科学者の養成という三つの機能から成るとし、そのなかで教養を最も重要な大学の機能と位置づけました。教養(文化)とは、それぞれの時代が所有するところの生きた理念の体系である。私たちが「人間的生」(Vida humana)とそれを呼んでいるところの現実、すなわちわれわれの生、各人それぞれの生は、生物学ないし有機体の科学とはなんらかかわり合いのないあるものである。生物学は、他のすべての科学と同様、若干の人がそれに彼らの「生」を捧げている一つの仕事にすぎない。この「生」という言葉の原初的な意味、またその本当の意味は、生物学的(biológico)ではなくして、伝記的(biográfico)である。生とは、宇宙の中でおのれを維持し、世界の諸事物、諸存在の間にあって身を処していくという大きな仕事を言うのである。生きるとは、つまり、世界と交わること、世界へと立ち向かうこと、世界の中で働き、世界に携わることである。これらの言葉に、オルテガの、Man has no nature, what he has is historyの真意が見られると思います。オルテガが大学の機能について語ったのは、王政から共和制へと移行していくスペイン革命のさなかでした。数年後に、スペインは内戦へと突入し、フランコ将軍による独裁政治へと移行していきます。オルテガは、人間の「生」を確かな世界観によって樹立するために、大学が大きな責務を負っていると考えたのです。生はすべて、いやでも応でも、自分自身を弁明しなければならないものである。だから、人間は、世界についての、また世界において可能な自己の行動についてのある知的解釈を用意して、環境ないし世界から直接受ける印象に反応するよう身構えずしては、生きていくことはできない、とオルテガは言っています。

 この理念は今もしっかりと大学に息づいていると私は信じています。開学以来、京都大学は対話を根幹とした自由の学風を伝統としてきました。学生も教職員も世間の常識とは少し距離を置き、この世界を構成する真理の探究とともに、先人が残した知の集積に向き合い、自らの生きる力を磨いてきました。これから皆さんはそれを用いて世界へと出て行くのです。果たして皆さんの生きる力は、かつてオルテガが望んだように、この時代の理念の高さに達しているでしょうか。

 皆さんが京都大学で過ごした数年のあいだに、世界は大きく変貌をとげました。東日本大震災からの復興がままならないうちに、熊本大地震が起こり、多くの人々が被災しました。環境汚染や地球温暖化による影響で、地球の利用できる資源が急速に劣化していることが明らかになり、人間の活動にさまざまな規制がかけられるようになりました。民族や宗教による対立が激化し、多くの難民が生み出されて、各国のこれまでの協力体制や連携にひずみが生じています。イギリスのEU離脱、アメリカの一国主義への移行、こういった社会や世界の急速な動きのなかで、皆さんは何を考え、どういった決意を新たにしてきたのでしょうか。

 知識を得る方法も、大きく変わりました。情報機器の発達により、いつでもどこでも、簡単に既存の知識にアクセスできるようになりました。膨大な映像が情報機器を通じて無料で流され、もはや、本は知識を得る貴重な手段ではなくなりました。メールや携帯電話が主要な伝達の手段となり、手紙を書くことはめったになくなりました。しかし、対話だけはこころを伝え合い、議論を通じて新しい考えを生み出す手段として今も生き続けていると私は思います。これから皆さんが活躍するのは、Society 5.0と呼ばれる超スマート社会です。そこではICT機器が威力を発揮して人々や物をつなぎ、ロボットやAIが多くの仕事を代替することになって、互いの顔が見えなくなるかもしれません。しかし、そういった社会でこそ、人々が触れ合い、生きる力を発揮して世界と向き合うことが大切になると思います。

 今日卒業する皆さんも、これまでに京都大学を卒業した多くの先輩たちと同じように自由闊達な議論を味わってきたと思います。その議論と学友たちはこれからの皆さんの生きる世界においてきわめて貴重な財産になるでしょう。京都大学には創造の精神を尊ぶ伝統があります。まだ誰もやったことのない未知の境地を切り開くことこそが、京都大学の誇るべきチャレンジ精神です。今日卒業する皆さんのなかにもさまざまな突出する能力を身に着け、すでにそれを発揮して活躍している方が多いだろうと思います。京都大学で磨いた能力を示し、試す機会がこれからはきっと多くなることでしょう。しかし、忘れてはならないことは、自分と考えの違う人の意見をしっかりと聞くことです。しかも複数の人の意見を踏まえ、直面している課題に最終的に自分の判断を下して立ち向かうことが必要です。自分を支持してくれる人の意見ばかりを聞いていれば、やがては裸の王様になって判断が鈍ります。このとき、京都大学で培った「対話を根幹とした自由の学風」がきっと役に立つはずです。

 京都大学は「地球社会の調和ある共存」を達成すべき大きなテーマとして掲げてきました。現代はこの調和が崩れ、多様な考えを持つ人々の共存が危うくなっている時代です。皆さんもこれから世界のあちこちでこのテーマに抵触する事態に出会うことでしょう。そのとき、京都大学の自由な討論の精神を発揮して、果敢に課題に向き合ってほしいと思います。皆さんがこれから示すふるまいや行動は、京都大学のOB、OGとして世間の注目を浴び、皆さんの後に続く在校生たちの指針となるでしょう。これから皆さんの進む道は大きく分かれていきます。しかし、昨年私が京大ヒュッテで体験したように、将来それは再び交差することがあるはずです。そのときに、京都大学の卒業生として誇れる出会いをしていただけることを私は切に願っております。

 本日は誠におめでとうございます。
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プロフィール

京都大学同学会中執

Author:京都大学同学会中執
京都大学全学自治会同学会の中央執行委員会で運営する、オフィシャル中執blogです。
激動の大学情勢に喰らい付くぜ!

告示第五号、第四号について
2012年~再建過程について
→リンクから見れます。

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