2016-04-27(Wed)

選挙公示

2016年度京大同学会中央執行委員会の予備選挙を以下の通り実施するので、確認してください。
 
円滑な選挙運営に向け、協力お願いします。

<日程>
立候補受付 5月18日(水)18:30 同学会運営会議にて(吉田食堂前集合)
立会演説会 5月20日(金)12:10~12:50(@京大吉田キャンパス構内)
投票期間  5月23日(月) ~ 6月3日(金)
開票    6月3日(金)19:30~

※場所など詳細は追って周知します。

<選挙権・被選挙権>
京都大学に在籍する全学生

<立候補の方法>
 委員長(1名)・副委員長(1名)・書記長(1名)・中央執行委員(4名以内)の候補団での立候補を受け付けます。立候補される方は、候補団を構成する学生の氏名と学籍番号、責任者の学生証を5月18日の運営会議の場に持ってきてください。

 5月18日の同学会運営会議に持ってこられない場合は、選挙管理委員会(dougakukai.senkan@gmail.com)に事情を伝えて下さい。個別に対応いたします。

<投票方法>
 クラス投票またはキャンパス内投票所にて、学籍番号を学籍チェックシートに記入の上、投票をして下さい(2重投票予防のため)。

<選挙に関する諸注意>
 予備選挙で選出された中央執行委員会は仮決定です。代議員会で承認された後、正式に発足されます。質問等があれば同学会のメールアドレス(dougakukai.kyoto@gmail.com)までご連絡ください。

<選挙の補足>
 
 中央執行委員会は中央執行委員長、副中央執行委員長、書記長、中央執行委員からなる組織で、最高決議機関である代議員会にその期の総括・方針を提起します。また、恒常的に執行委員会を招集し、クラス討論議案の執筆や大学当局との交渉などの指揮をとるのが職務です。

 同学会規約(1959年)によれば、中央執行委員会は執行委員・代議員の互選により選出されることになっています。しかし、代議員はクラスからの立候補で任意に選出されることから、このやり方では中央執行委員会の委員やその提起する運営方針が、全学の目に晒されないまま内内で決まってしまう危険性があります。

 運営会議で議論したところ、やはり中央執行委員会は全学生の前に顔と名前と運営方針の内容を明らかにし全学の真意を問うべきという立場から、今年も昨年と同様、中央執行委員選出の全学選挙を行うことになりました。
 もちろん、この選挙は規約に則ったものではないので、選挙で選出された中央執行委員会の正式な承認はその後開かれる代議員会で規約通り行われることになります。

<立候補するにあたって>

 中央執行委員会が効力を発揮していく過程で一番最初にあるのが、立候補者が自治会をどう運営したいかを示す立候補宣言の執筆です。5月20日の立会演説会でその内容をプレゼンしてもらいます。それぞれの役職は、辞書の意味通りでなくて構いません。2015年度の中執は「ストライキできる自治会を作ろう」をスローガンに掲げて選出されました。実際に後期の授業時間中にバリケードストライキを行い、学生の力を示すことを主眼におきました。

 新入生には学内の情勢がまだよくわかっていないという構造上の問題から、特に2回生以上の方を軸に、立候補団を構成してほしいと思います。立候補を検討している方は、是非一度運営会議の場に来て、議論に参加してみてください。日程は学内のビラ・立て看板に掲示します。去年の立候補宣言、選挙管理委員会の動向については「同学会選管」で検索してください。

京大同学会執行委員会
2016-04-23(Sat)

新歓総まとめ①

4月の新歓がいよいよクライマックスに向かっています。
4月11日からのクラス討論、4月14日のTOEFL強制抗議文提出(国際高等教育院)、4月15日の情報公開連絡会廃止阻止の要求書提出(教育推進・学生支援部)、4月16日のトーフル弾劾行動、4月19日新歓講演会、4月20日の教育推進・学生支援部への宣戦布告、その他4月の学習会(12日、22日、26日)、運営会議(新歓用)を経て、次は、5月自治会選挙です。

選挙中は
①大学教育のあり方
②情報公開、情報共有のあり方
③5月サミットに対する態度

の3つが焦点になるでしょう。
2016-04-12(Tue)

過激派注意ビラについて ②

 過激派注意ビラを再掲します。
 この内容があまりにも馬鹿らしいので書く気にもならないのですが、押して反論を書きます。
 私たちが世間的に過激派だと考えられていることはそのことにつては書きません。大学当局の明らかな矛盾を暴きます。

 まず、「学習会系サークル」ということが言われます。同学会中執は学習会を呼びかけることもありますが、基本的には活動団体として学生の前に登場します。新入生に対しても同様です。それでも「学習会系」というところに当局の悪意を感じます。つまりこれは私たち中執のことではなく、ある別サークルについて言っているのだと考えられるということです。もしそうならばそれは京都府警の誤った認識による入れ知恵に他なりません。実態を知ることなく警察の言うことに従うことは大学として恥ずべきことです。

 次、「過激派の正体を隠し」ということについて、私たち中執はバリストをやったことについて新入生に隠すことはしません。むしろ宣伝しています。執行委員の中には堂々と中核派の機関紙「前進」をまく人もいます。なにも隠していません。

 次、「勧誘時の団体名や活動説明と実際の団体名や活動実態が異なる団体は特に注意してください。・・・社会情報がみな誤りであり、この団体の言うことだけが正しいなどと情報操作・情報規制をされたらすぐ逃げてください。」ということについて。
 「団体名や活動説明と実際の団体名や活動実態が異なる団体」は「京都大学」であることが先日の吉田寮自治会と教学部長とのやり取りの中で判明しています。つまり吉田寮の入寮募集停止について部長は「会議名もなく、議事録もない会議によって決められた」と発言しています。その正体不明の会議体によって「京都大学」が名乗られていたのです。学生は「京都大学」こそ注意すべきです。
 その上「京都大学」から「すぐ逃」げることはほぼ不可能です。退学しろとでも言うのでしょうか。
 そして「京都大学」の言うことだけが正しいなどと情報操作・情報規制をするための「川添新聞」こと「Campus Life News」も情報公開連絡会を潰して創刊されました。
 このような事態は大学として恥じるべきです。

 このブログは大学当局も見ているそうです。こそこそ見てないで学生の前に登場してみろ。馬鹿やろう。

過激派注意
2016-04-12(Tue)

過激派注意ビラについて

 今年の新入生に配られた過激派注意ビラを入手しました。
 毎年カルト団体に注意ビラはあるのですが、去年から過激派注意が加わり、今年から特に詳しく展開されています。クラス討論とか具体的な内容に踏み込んでいますね。
  別に大学当局が同学会中執について注意を呼びかけることは何度も行われてきたことですし(それでも馴れずに弾劾しますが)、当局は敵だと思っている身にしてみればどうってことない話に違いないはずですが、どうもこの紙を見ていると悲しくなります。

 バリスト弾圧の過程で、弾圧と滝川事件の類似がしきりに指摘されました。つまり満州事変が起こり日本が侵略戦争を開始していく中で国内の反戦運動や反政府運動が取り締まられ、それが大学に及んだという情勢が現代とよく似ているということです。
 滝川事件自体は1933年、自由主義的刑法学説が問題にされて、結局滝川教授を含む法学部教授陣の辞職によって収拾されました。この事件に対して京大法学部教授陣はよく闘いましたが、他学部・他大学は沈黙し、良心的な教授による個人的な支援にとどまりました。
 一方学生は全国的に反応して闘いが巻き起こりました。京大や東大で学生集会が何度も開かれてこの事件について討論し行動しました。またその議論のあり方は非常に先駆的で民主的なものだったことが言われています。学生は現実の問題を見据える中で自ら解決へ向けた行動を組織することができたわけです。そしてなぜそれができたか。当時ドイツでナチスが全権委任法を制定して学問への迫害が起こっていたことを学生たちは認識していたからです。それが日本でも起ころうとしている。このような認識があったからこそ主体的に闘うことができました。
 学生は国家との関係を認識しながら闘いました。しかし京大法学部を除く教授たちは「学問の自由」すら掲げず沈黙を決め込みました。その結果としてこの闘争が敗北しました。法学部教授陣は辞職し、小西総長も辞職。つついて成立した総長ー法学部長体制下で事件の収拾が図られ、教室を使った学生集会が禁止されてしまいます。その後も出版活動などは行われましたが、現場での闘争に敗北したことは、やはり来るべき破局の予兆となったわけです。

 ところで現代ではフランスで昨年11月のテロをきっかけに緊急事態が発令され、常に町中に警察がうろうろするというパフォーマンスでもって市民に対する恐怖政治(terrorism)が行われています。そして労働法制の改悪が労働者を襲います。しかしフランスの労働者、そして学生もストライキに立ち上がっています。フランスだけではありません。世界中で反乱が起きています。この歴史的な状況の中で、日本に居る人はどうするのか。やはり戦前と同じように問われています。滝川事件は経験済みです。戦後大学人はこのときに何もしなかったことを後悔しました。
 しかし、今の京大を見ているとまったくそういった危機感が感じられません。いったい京大は70年間何をしてきたのでしょうか。敵と思いながらも、その死滅する姿を悲しまずにはいられません。
 
 次の記事では感傷も無くゴシップ的にこのビラについて書こうと思います。

過激派注意
2016-04-08(Fri)

学部式辞

今年度学部入学式での山極総長の式辞です。

 本日、京都大学に入学された2,997名の皆さん、ご入学誠におめでとうございます。ご列席の理事、副学長、学部長、部局長、および教職員とともに、皆さんの入学を心よりお祝い申し上げます。同時に、これまでの皆さんのご努力に敬意を表しますとともに、皆さんを支えてこられましたご家族や関係者の皆さまにお祝い申し上げます。

 ここ京都は、三方を山に囲まれた盆地で、京都大学はその東の端に位置し、近くに吉田山や大文字山が望める風光明媚な場所にあります。この季節は、さまざまな木々が芽吹き、新緑が山々を彩ります。人々はこの鮮やかな色彩に心を躍らせ、新しい学びの場や職場でそれまでに蓄えてきた気力や体力を発揮して活動の舞台に臨むのです。本日入学式にお集まりいただいた皆さんも、この春の季節の明るい光とみずみずしい風に乗って、新しい活躍の舞台に上がろうとされているのだと思います。京都大学はそれを心から歓迎すると同時に、皆さんがこの京都大学で世界に向かって羽ばたく能力を磨いていただくことを願っています。

 さて、京都大学はその基本理念として自由の学風を謳っています。基本理念の前文では、「京都大学は、創立以来築いてきた自由の学風を継承し、発展させつつ、多元的な課題の解決に挑戦し、地球社会の調和ある共存に貢献するため、自由と調和を基礎に、ここに基本理念を定める。」とあります。自由とは、自由の学風とは何でしょうか。京都大学の前身、京都帝国大学の創立は1897年ですが、その創設に大きく関わった人物に、当時文部大臣であった西園寺公望がいます。彼は、「政治の中心である東京から離れた京都に、自由で新鮮な発想から真の学問を探求する学府」を作るという希望を述べています。西園寺は、若いころに9年間フランスへ留学していますが、本学の初代総長になった木下廣次も4年間パリ大学に留学しています。木下は、「自重自敬」という言葉を京都大学の理念としていますが、創設に関わった二人の考えはフランスの自由思想に基づいていたと思われるのです。

 ご存知のように、3色に染め抜かれたフランス国旗の青は自由、白は平等、赤は博愛を意味します。18世紀末のフランス革命の際、パリ市民軍の帽章に用いられた3色の色を国旗にしたのですが、青の自由はジャン・ジャック・ルソーの思想に基づいています。すなわち、個人の自由と権利を尊重し、社会における個人の自由な活動を重んずる考え方です。ちなみに、京都大学のスクールカラーは濃青、濃い青で、東京大学は淡青、淡い青です。これは1920年に行われた両大学のボート部における第1回対抗戦の際、イギリスのオクスフォード(濃青)とケンブリッジ(淡青)のスクールカラーにちなんだとされており、自由とは直接つながってはおりません。ただ、少なくとも京都大学の創設に当たっては、西園寺と木下はフランスの自由主義を重視していたに違いありません。つまり、そこには個人の自由という発想が根幹を成していたと思われるのです。

 しかし、自由というのは簡単に得られるわけではありません。そもそもルソーは、自然状態の人間に社会を前提としていませんでした。自分の欲望だけに忠実な存在から、契約を通していかに社会が立ち上がってきたかを考えたのです。それを理想としたフランス革命は、多くの同志を断頭台へ送る結果となり、その後フランスは過酷な戦争に明け暮れました。個人の自由とは自分だけで定義できず、他者から与えられるものであるからこそ、人間の作る社会には多くの矛盾と葛藤が生まれるのです。その他者とは誰なのか。個人の自由が及ぶ範囲はどこなのか。その答えをめぐって、世界は苦悩し、各地で戦争が繰り広げられました。第二次世界大戦でドイツの占領下にあったフランスでレジスタンス運動に奔走したポール・エリュアールは、「自由」という21節からなる詩を発表しました。その最初の節は、



Sur mes cahiers d'écolier
Sur mon pupitre et les arbres
Sur le sable sur la neige
J'écris ton nom

わたしの学習帳のうえに
わたしの机のうえ、そして樹木のうえに
砂のうえ、雪のうえに
わたしは書く、あなたの名を

最後の節は
Et par le pouvoir d'un mot
Je recommence ma vie
Je suis né pour te connaître
Pour te nommer

Liberté

そして、ひとつの言葉のちからによって
わたしは、わたしの生をふたたびはじめるのだ
わたしは生まれたのだ、あなたを知るために
あなたの名を呼ぶために

自由(Liberté)



 このLiberté自由という言葉は、フランス人にとって特別な、そしてこの上なく美しい響きをもっているようです。この詩は、人間にとって決してあきらめてはいけない希望が自由であること、そしてそれは言葉によって生まれ、保障されるということを語っているように聞こえます。たしかに、それは真実だと思います。しかし、社会は言葉によってできたわけではありません。動物にも社会があり、複数の個体が秩序を持って共存していることを発見し、主張したのは、第二次世界大戦直後に京都大学で生まれた霊長類学でした。創始者の今西錦司は、人間の社会と動物の社会は進化の中で連続していることを説き、動物の社会を成り立たせている原理から人間の社会が創られた進化の過程を描き出す重要性を強調しました。弟子の伊谷純一郎は、ルソーの「人間不平等起源論」に疑義を唱え、サルの段階ですでに先験的な不平等による社会が成立しており、人間の社会はその不平等の上に条件をつけて平等を実現させようとしたという仮説を立てました。わたしはそこに、自由は勝ち取るものではなく、他者との共存を希求するなかで、相互の了解によって作られるもの、という発想を読み取れると考えます。自由にとって、平等と博愛は不可欠な条件ではありません。しかし、人間の社会には、これらの3つの精神が必要なのです。そして、言葉はこれらの精神を謳いあげるとともに、人々を傷つけ、自由を束縛し、不平等を正当化する武器ともなります。現代の社会で起こっている抑圧や虐待は、この言葉に発する暴力によっているといっても過言でありません。

 日本国憲法にも、これらの精神が謳われています。11章103条からなる日本国憲法のなかに、自由という言葉は11回登場します。前文には、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と述べ、第14条では、「すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と明記しています。学問については、第23条で「学問の自由は、これを保障する」と謳っています。では、「学問の自由」とは何でしょうか。それは、「考える自由、語る自由、表現する自由」だと私は思います。京都大学は、「多様かつ調和のとれた教育体系のもと、対話を根幹として自学自習を促し、卓越した知の継承と創造的精神の涵養につとめる」ことを伝統としています。自学自習とは、ただ講義を聞くだけでなく、自分で考えるだけでなく、多くの人々と対話をするなかで自分の考え方を磨くことを意味し、その上で創造性に満ちた新しい発想を世に出すことが求められているのです。まさにこれは、「思考力、判断力、表現力」を自由の名のもとに鍛える学びの場であるということなのです。京都大学はその学びの場を提供するとともに、自由の学風のもと、多元的な課題の解決に挑戦し、地球社会の調和ある共存に貢献すべく、質の高い高等教育と先端的学術研究を推進してきました。これまでに9人のノーベル賞と2人のフィールズ賞をはじめとする数多くの国際賞の受賞者を輩出してきました。これは、京都大学が世界をリードする研究を実施してきた証です。これからも学問を志す人々を広く国内外から受け入れ、国際社会で活躍できる能力を養うとともに、多様な研究の発展と、その成果を世界共通の資産として社会に還元する責務を果たしていこうと思います。


 私は京都大学が歩む指針としてWINDOW構想を掲げています。大学を社会や世界に通じる窓として位置づけ、有能な学生や若い研究者の能力を高め、それぞれの活躍の場へと送り出す役割を大学全体の共通なミッションとしたのです。大学の教育とは知識の蓄積と理解度だけを向上させるものではなく、既存の知識や技術を用いていかに新しい発想や発見が生み出されるかを問うものです。その創造の精神を教職員と学生が一体となって高めるところにこそ、イノベーションが生まれるのです。すべての学生が同じ目標に向かって能力を高めてもイノベーションには結び付きません。違う能力が出合い、そこで切磋琢磨する場所が与えられることによって、新しい考えが生み出されていくのです。京都大学は単に競争的な環境を作るのではなく、分野を超えて異なる能力や発想に出会い、対話を楽しみ、協力関係を形作る場を提供していきたいと考えています。そういった出会いや話し合いの場を通じてタフで賢い学生を育て、彼らが活躍できる世界へ通じる窓を開け、学生たちの背中をそっと押して送り出すことが、私たち京都大学の教職員の共通の、夢であり目標なのです。

 その窓にちなんで、WINDOWという標語を作りました。WはWild and Wise、すなわち野生的で賢い学生を育てようという目標です。IはInternational and Innovative。国際性豊かな環境の中で、常に世界の動きに目を配り、世界の人々と自由に会話をしながら、時代を画するイノベーションを生み出そうとする試みです。NはNatural and Noble。京都大学は、三方を山に囲まれた千年の都に位置し、自然や歴史の景観に優れた環境にあります。昔から京都大学の研究者は、これらの豊かな環境から多くの新しい発想を育んできました。哲学の道を散策しながら練り上げられた西田哲学、北山登山から生まれた霊長類学など、世界に類のない新しい発想や学問を生み出してきたのも京都のこうした環境によるところが大きいと言えましょう。DはDiverse and Dynamic。グローバル時代の到来で、現代は多様な文化が入り混じって共存することが必要になりました。京都大学は多様な文化や考え方に対して常にオープンで、自由に学べる場所でなければならないと思います。一方、急速な時代の流れに左右されることなく、自分の存在をきちんと見つめ直し、悠久の歴史の中に自分を正しく位置づけることも重要です。OはOriginal and Optimistic。これまでの常識を塗り替えるような発想は、実は多くの人の考えや体験を吸収した上に生まれます。そのためにはまず、素晴らしいと感動した人の行為や言葉をよく理解し、仲間とそれを共有し話し合いながら、思考を深めていく過程が必要です。また、失敗や批判に対してもっと楽観的になり、それを糧にして異色な考えを取り入れて成功に導くような能力を涵養しなければなりません。最後のWはWomen and Wish。これからは女性が輝き、活躍する時代です。今日入学したみなさんの681名が女性であり、これは全入学生の約2割にあたります。女性が増え、女性からの発想や観点によって新しい研究が始まれば、世界は変わります。京都大学はこれから、勉学に打ち込める環境作り、女性に優しい施設づくりを実施していきます。

 本日、京都大学に入学された皆さんのすべてが、この6月から選挙に参加できるようになりました。これまで20歳以上の国民に与えられていた選挙権が、公職選挙法の改正により18歳まで引き下げられたのです。皆さんは自分の置かれている環境に対し、その是非について、その政治的判断について、自ら票を投じて参加できるようになったのです。それはとても大きな変化だと思います。京都大学の時計台にある迎賓室には、「学徒出陣図」と題する須田国太郎画伯の絵が掛けられています。須田は京都大学文学部を卒業後、絵画の道を志してヨーロッパに学び、京都大学の学生が召集されて出陣する場面を描きました。それは1943年11月20日のことで、快晴の比叡山を遠望して学生たちが行進するさまを、須田は実に暗い色調で描きました。この戦争で京都大学から4,500名に上る学生が入隊し、文系の学生はそのうち9割近くを占めました。264名の学生が戦没者として確認されています。当時、選挙権は25歳以上の男子と定められており、多くの大学生には政治に参加する資格が与えられていませんでした。20歳以上の男女に選挙権が与えられたのは戦後1946年であり、日本国憲法が公布されたのはその後のことです。学徒出陣に参加した学生たちは自分たちの意思ではなく、上の世代の決定によって戦争に駆り出されていたのです。このことはしっかりと心に留めておかねばなりません。皆さんはこの6月から選挙に参加するとともに、日本の政治の方向性について大きな責任も生じるということを忘れないでください。皆さんの意思によって、揺るぎなき未来を築くために確かな一票を投じてください。

 現代は国際化の時代といわれます。多くの国々から大量の物資や人々が流入し、日本からも頻繁に出て行きます。自然資源に乏しいわが国は先端的な科学技術で人々の暮らしを豊かにする機器を開発し、次々にそれを世界へと送り出してきました。海外へと進出する日本の企業や、海外で働く日本人は近年急激に増加し、日本の企業や日本で働く外国人の数もうなぎのぼりに増加しています。そうした中、大学ではグローバル化した社会の動きに対応できる能力や国際的に活躍できる人材を育ててほしいという要請が強まっています。これから国際的な交渉の場で力を発揮するには、日本はもちろんのこと、諸外国の自然や文化の歴史に通じ、相手に応じて自在に話題を展開できる広い教養を身につけておかねばなりません。理系の学問を修めて技術畑に就職しても、国際的な交渉のなかで多様な文系の知識が必要になるし、文系の職に理系の知識が必要な場合も多々あります。世界や日本の歴史にも通じ、有識者たりうる質の高い知識を持っていなければ、国際的な舞台でリーダーシップを発揮できません。京都大学は、全学の教員の協力のもと、質の高い基礎・教養教育の実践システムを組み上げてきました。学問の多様性や階層性に配慮し、クラス配当科目やコース・ツリーなどを考案し、教員との対話や実践を重視した少人数セミナーを配置しています。外国人教員の数も大幅に増やし、学部の講義や実習も英語で実施する科目を配置しました。博士の学位を取得して、世界で実践的な力を振るえるように、5つのリーディング大学院プログラムを走らせています。この4月には先端的な学術ハブとして高等研究院を立ち上げ、京都大学の学問を通して全世界にネットワークを広げることにしました。

 このように、京都大学は教育・研究活動をより充実させ、学生の皆さんが安心して充実した生活を送ることができるよう努めてまいりますが、そのための支援策として京都大学基金を設立しています。本日も、ご家族の皆さまのお手元には、この基金のご案内を配布させていただいております。ご入学を記念して特別な企画も行っておりますので、ぜひ、お手元の資料をご覧いただき、ご協力をいただければ幸いです。

 皆さんが京都大学で対話を駆使しながら多くの学友たちとつながり、未知の世界に遊び、楽しまれることを願ってやみません。

 ご入学、誠におめでとうございます。
2016-04-08(Fri)

院式辞

今年度大学院の入学式での山極総長の式辞です。

 本日、京都大学大学院に入学した修士課程2,307名、専門職学位課程318名、博士(後期)課程854名の皆さん、ご入学おめでとうございます。ご列席の理事、副学長、研究科長、学館長、学舎長、教育部長、研究所長および教職員とともに、皆さんの入学を心からお祝い申し上げます。また、これまで皆さんを支えてこられたご家族や関係者の皆さまに心よりお祝い申し上げます。

 さて、今日皆さんはさらに学問を究めるために、それぞれの学問分野へ新しい一歩を踏み出しました。京都大学には多様な学問分野の大学院が設置されており、合計23種類の学位が授与されます。18の研究科、14の附置研究所、17の教育研究施設が皆さんの学びを支えます。修士課程では講義を受け、実習やフィールドワークを通じて学部で培った基礎知識・専門知識の上にさらに高度な知識や技術を習得し、研究者としての能力を磨くことが求められます。専門職学位課程では、講義のほかに実務の実習、事例研究、現地調査などを含め、それぞれの分野で実務経験のある専門家から学ぶ機会が多くなります。博士後期課程では論文を書くことが中心となり、そのためのデータの収集や分析、先行研究との比較検討が不可欠となります。

 ここで重要なことは、データに語らせることです。そして、それを分析して得た自分の考えを仲間に語り、その真価を繰り返し確かめることです。しかし、データに語らせることは決してたやすいことではありません。そもそも、データの取り方が間違っていれば、採取したデータは自分が立てた問いに正しく答えてはくれません。まず、自分が一体何を知りたいのかを十分に吟味し、問いを立てることが必要ですし、その問いに合った方法論を選ぶことが重要となります。

 その上で、データを取るわけですが、ここが最も大事な作業であるとともに、思いがけない発見が生まれる瞬間でもあるのです。長年、野生のサルやゴリラを対象にフィールド調査を行ってきた私は、この段階で長い間苦労を重ねました。何しろ、野生のゴリラが人間になれていなかったために、思うように行動や社会に関するデータが取れなかったのです。そのため、毎日森を歩いてゴリラの痕跡を探し、新鮮な足跡を見つけると、それをたどってゴリラを追跡することを続けました。運よくゴリラに出会っても、人間の気配を察知したゴリラが一声叫ぶと、群れ全体がさっと視界から消えてしまうことばかりでした。これでは行動のデータを取れません。それでもゴリラがしていることを推理するために、糞を採集してその内容物から何を食べているかを同定したり、毎晩作りかえるベッドの数や大きさから群れの個体数や構成を割り出したりしました。そのうち、ゴリラはだんだんと警戒心を解き始めるのですが、ここからが正念場です。ゴリラも人間について回られるのは嫌なので、脅かして追い払おうとします。大地が割れんばかりの吼え声を上げて突進してきます。このとき震え上がって逃げてしまったら、ゴリラはわが意を得たとばかり、攻撃すれば人間は退散してくれると思い込んでしまいます。どんなに脅されても一歩も引かず、正面から向き合ってゴリラと対峙することが必要なのです。攻撃してもむだだとわかると、ゴリラはしだいに怒りを抑えて、人間が接近するのを許すようになります。

 私たち観察者が後を着いて歩くのをゴリラが気にかけないようになり、ついには群れの中に入っていっても普段の暮らしを乱さないようになって、初めてゴリラの自然な行動を記録できるようになるのです。ここまでふつうは5年以上かかります。その間、思うようなデータを取れず、間接的な証拠からゴリラはこんな行動をしているに違いないなどと憶測をめぐらせる日々が続きます。それだけに、実際ゴリラの行動を見ることができるようになって、その憶測を確かめられたときの感激はひとしおです。たとえば、食物を分配する行動はチンパンジーでよく知られていましたが、ゴリラでは報告されていませんでした。でもそれは、これまで調査されていたゴリラが高い山にすむマウンテンゴリラで、甘く栄養価の高いフルーツが実らない環境条件にあるからだと私は思っていました。近年、アフリカ低地の熱帯雨林にすむローランドゴリラの調査を始めると、チンパンジーと同じように多種類のフルーツを食べることが分かってきました。私は、低地のゴリラたちがきっと食物を分配しているに違いないと思い、何とかその場面を見られないものかと期待しながらゴリラを追いかけていました。そして、ある群れのゴリラたちと付き合い始めてから6年目に、ゴリラたちがフットボールぐらいの大きさのフルーツを分けて食べるのを観察することができたのです。しかも、それは私が想像していたようなチンパンジーの分配行動とは違っていて、フルーツのかけらを地面に落として仲間に取らせるゴリラらしい分配方法でした。とうとうそのシーンを見ることができたという感慨とともに、想像を超える展開に私は目を見張りました。しかし、そのシーンを写真に撮ることに成功したものの、ゴリラの分配行動について論文を仕上げるにはそれからさらに4年の歳月が必要でした。その後、調査をともにした仲間たちが見たゴリラの分配行動と合わせて状況を分析し、チンパンジーや他の霊長類の報告と比較しながら、ゴリラの分配行動の進化史的意義を検討しなければならなかったからです。それは楽しい作業でしたが、時にはとても辛抱や忍耐を要することでもありました。でも、私は自分が見たことは世界中でまだ誰も体験したことがない現象であることを知っていました。その意味を明らかにし、公表することは私たちの義務であると感じていたのです。それは、一般の人々にとって何の意味もない、取るに足らないことかもしれません。しかし、ひょっとしたら私たちの発見がゴリラの進化に関するこれまでの常識を変え、ゴリラと共通の祖先を持つ私たち人間に対する理解を変えるかもしれないと私は思っています。


 日本で最初にノーベル賞を受賞した湯川秀樹先生は、1962年のノーベル賞受賞13年後に開かれた京都大学の教官研究集会で、大学の本来の使命とは、「私たちの生きている、この世界に内在する真理を探究し、真理を発見し、学生たちに、後進の人たちに、そして学外の人たちにも真理を伝達すること」と語っています。真理の性格について、湯川先生はまず、真理はその現実の姿においては、多方面にわたって集積されてきた、非常に多数の事実、それらの事実の全体の中の一部分を支配する法則、それらの法則のいくつかを自己の中にふくむ理論体系-そういう諸事実、諸法則、諸理論の全体であると述べます。しかし、それが最終的意味における真理の全部ではありません。現実において私たちの知っている真理は部分的なものであると同時に、非常に多くの方面に分化しています。同じ法則、あるいは原理が、他の種類の現象に対しても同様に成立するというわけにはいかず、両方に共通する原理がまだ知られていないという場合もあるのです。現在までに世界各国の学者の手がまだのびていない領域、すなわち未知の領域が存在すること、またすでに研究の手がのびている領域に関してもそこに多くの未解決の問題が残っていることを、研究者は知っている、と湯川先生は言います。そして、学問的真理がこのような性格を持つものであればこそ、「真理の探究」ということが重要な意味を持つのであり、学問とは全体として固定されてしまった何物かではなく、新しい事実、新しい法則- 一口にいって新しい真理の発見によって変化し、成長し続けていくものである、と述べておられます。

 現在、大学の研究は産業界の発展に結びつくことが期待されていますが、京都大学は社会にすぐ役立つ研究だけを奨励しているわけではありません。開学以来、対話を根幹とした自由の学風を伝統とし、独創的な精神を涵養してきました。それは、多様な学びと新しい発想による研究の創出につながります。皆さんはこれから専門性の高い研究の道へ入られるわけですが、それは狭き道をまっしぐらに進むことを意味するわけではありません。多くの学友や異分野の研究者たちと対話を通じて自分の発想を磨くことが、真理の道へ通じるのです。今日、京都大学の大学院に入学した皆さんも、いつかは自分の専門を離れて別の学問領域に目を向ける日が来るかもしれません。それも自分の学問分野で成功するのに匹敵する輝かしい飛躍であり、新たな可能性を生み出す契機となると私は考えています。どうか失敗を恐れず、自分の興味の赴くままに、研究生活に没頭してください。京都大学はそれにふさわしい環境を提供できると思います。

 京都大学には34のユニットがあり、学際的にさまざまな教育・研究活動を行っています。複数の研究科、研究所、研究センターからなる教育プログラムや研究プロジェクトが走っておりますので、ぜひ参加をして多様な学問分野に目を開き、創造性を高めてください。さらに、博士の学位を得て実践的な舞台でリーダーシップを発揮する5つのリーディング大学院プログラムが実施されています。京都大学大学院思修館、グローバル生存学大学院連携プログラム、充実した健康長寿社会を築く総合医療開発リーダー育成プログラム、デザイン学大学院連携プログラム、霊長類学・ワイルドライフサイエンス・リーディング大学院プログラムがあり、それぞれ連携する大学院が指定されていますので、ぜひ関心を持っていただきたいと思います。また、昨今は、データの改ざんや剽窃など、論文制作に関わる不正行為が数多く指摘され、世間の厳しい目が研究者に注がれています。ぜひ、研究倫理を守り、独創性の高い研究を実施して、大きな成果を挙げていただきたいと思っております。

 日本は、博士の学位を取得した学生が産業界に就職しにくいと言われてきましたが、最近は多くの企業が国際化する中で、博士の学位を持つ人材を積極的に雇用する兆しが見え始めています。それには大学院在籍中に企業の実践的な現場を知ることが重要で、本学でも産学協同イノベーション人材育成コンソーシアム事業として、多くの企業に参加してもらい、中長期のインターンシップやマッチングを実施しています。社会に出る前に産業界の現場を経験し、自分の能力や研究内容に合った世界を知る機会を増やそうと考えております。また、国際的な舞台で活躍できる能力を育成するために、海外のトップ大学とダブル・ディグリーやジョイント・ディグリーを増やそうとしています。現在、京都大学はロンドン、ハイデルベルク、バンコクに海外拠点をもち、ヨーロッパやアジアの大学との連携を強めておりますが、今年は北米やアフリカにも拠点を設け、大学間交流の場を増やしていこうと考えているところです。すでに京都大学の多くの部局は世界中に研究者交流のネットワークや拠点をもっており、これらの拠点を活用しながら、共同研究や学生交流を高め、国際的に活躍できる機会と能力を伸ばしていく所存です。

 このように、京都大学は教育・研究活動をより充実させ、学生の皆さんが安心して充実した生活を送ることができるよう努めてまいりますが、そのための支援策として京都大学基金を設立しています。本日も、ご家族のみなさまのお手元には、この基金のご案内を配布させていただいております。ご入学を記念して特別な企画も行っておりますので、ぜひ、お手元の資料をご覧いただき、ご協力をいただければ幸いです。

 本日は、誠におめでとうございます。
2016-04-08(Fri)

新年度開講!

4月7日入学式で、遂に8日から開講します。
すでに紅萌祭で様々な新入生と話して結びつきました。
明日からビラや街宣などなど行っていきますので、よろしくお願いします!

写真は紅萌祭で出したタテカンです。
紅萌祭タテカン
2016-04-07(Thu)

TPP審議入り!

しばらくサボってましたが、新聞資料からです。
先日TPPが遂に国会で審議されることになりました。
自民党はTTP反対で選挙に出たにもかかわらず突然のTPP交渉参加と秘密会議、そのうえで選挙をにらんだ国会戦略など腹立たしい限りです。
ところでアメリカでもTPPは問題になっているようで、つぶれてしまうかもしれませんね。
最近アメリカがカナダの企業によって、ISD条項に基づいて提訴されたそうです。TPPでやろうとしていることと同じです。それだからこそ「国益論」も出てきているようですが、なにはともあれTPPはあまりにも危険な協定です。

リンクはDemocracy now!
http://www.democracynow.org/2016/1/7/transcanada_sues_the_us_for_15b

TPP審議入り
2016-04-02(Sat)

奪還闘争の総括(2) 大学当局と学生

 遅くなりましたが、奪還闘争の総括の二つ目です。ここではこの弾圧と奪還闘争の過程で大学当局と学生との関係がどのようなものであったか検討します。

 まずはバリストから弾圧・奪還闘争に至る、大学当局と学生とに関係する経緯をまとめると以下のようになる。

2015年 
 10月27日 同学会中執によるバリスト
 10月28日 大学当局の声明「刑事告訴を検討」
 11月14日 京都府警・現場検証 この前後京大・刑事告訴か?
2016年 
 1月20日 告示第6号 代議員会について
 2月29日~3月1日 京都府警により6人が逮捕、その他家宅捜索など
 3月1日 京大当局による声明「捜査に協力する」 吉田寮への入量募集停止の通知
 3月3日 哲学研究会による声明
 3月4日 中執による大学当局への抗議行動
 3月12日 大学当局によるバリストに関わった執行部4人に対する呼び出し
 3月16日 「刑事告訴ってどうなの?」、広島大学8サークルによる申し入れ、公開質問状の提出行動
 3月17日 副学長連絡会中止 
 3月18日 6人釈放 「Campus life news」創刊


 今回の弾圧は新聞各紙で報道されているところによれば、京大当局が京都府警に初めて刑事告訴を行った事によっている。学生が行ったストライキに刑事告訴をもって応えることは前代未聞のことであった。各新聞も京大当局の対応を大きく報道した。しかしこのような重大な事態にも関わらず、大学当局は学生に対しては刑事告訴したかどうかを明らかにできなかった。これは大学当局の弱さである。学生を警察に売り渡したという事の大きさ、一大転換を分かっていないのだろうか。
 このような大学当局の一方的な刑事告訴に対して学生からは疑問や糾弾がおこった。それぞれ学生有志による「刑事告訴ってどうなの?」の行動、部室が家宅捜索された哲学研究会の声明である。また他大学について、広島大学の8サークルが共同声明を採決している。「刑事告訴ってどうなの?」の声明文と公開質問状、広大サークルの声明は当局に提出しようとしたが、拒否された(公開質問状は厚生課で受け取られた)。バリストに至るまでの過程もそうであったが、大学当局の学生に対する強硬な態度は、刑事告訴を機にさらに強まり、ますます非和解的なものになっていった。

 大学当局と学生との関係はバリスト弾圧と並行して、吉田寮に対する入寮募集停止通告、寮に対する団交拒否、副学長による情報公開連絡会の廃止も行われた。これらのことは吉田寮の更地化を狙うと共に、団体交渉に対する当局の嫌悪が背景にある。情報公開連絡会もこの一年間で同学会中執が主導して大学の様々な問題を追及する場となり、さながら団交のような状況になっていた。この連絡会を廃止され、代わりに発行が始まった「Campus Life News」NO.2(3月31日)において、団交への嫌悪が端的に述べられている。吉田寮との団交について以下のように記述されている。

吉田寮自治会との「団交」報告

 2016年3月17日(木曜日)午後6時過ぎから3時間を超える吉田寮自治会との「団交」を、吉田南総合館共南11講義室で行いました。大学側出席者は学生生活委員会第三小委員会(学寮等担当)の教員7名と教育推進・学生支援部職員5名で、自治会側は寮生に「関係者」と思われる参加者を含めて約50人でした(「思われる」というのは、「団交」で自治会は参加者の氏名・所属・役職を明らかにすることを拒否しているからです。大学側は氏名・身分をいつも明示します)。

 自治会が求めた今回の「団交」は、学生担当理事・副学長が2015年11月に交代したことをうけて、前任の学生担当理事・副学長が署名した「確約書」を後任の川添信介 理事・副学長が「引継ぐ」ことを求め、また、川添理事・副学長にも新たに「確約書」への署名を求める「予備折衝」と位置づけてのものでした。しかし、2016年1月22日(金曜日)の1回目の「引継団交」(これは休憩を挟んだとはいえ、5時間を超えるものとなりました)においても、2回目の今回においても、協議内容はこの「団交」という話し合いの形態そのものに関する要求と川添理事・副学長の「団交」への出席を強く求める主張に終始しました。これについて、川添理事・副学長はこれまでの衆をたのんだ「団交」ではなく少人数の代表者による理性的な話し合いの形態を求めており、この意向を第三小委員会が伝えて是正を求めたのに対して、吉田寮自治会はあくまで「団交」形態の継続と川添理事・副学長の出席を主張し続けて、平行線のままでした。

 しかし、築後100年を超える吉田寮現棟の老朽化問題は一日も早く解決しなければならない課題であり、自治会との話し合いを継続するために、次回の話し合いも吉田寮自治会の主張する「団交」形態で行うことを第三小委員会が約束して、今回の「団交」は終了しました。


そして川添副学長の一言として、

私は、老朽化問題解決のためにも、吉田寮自治会と直接に対話したいと常に願っています。ただ「団交からの訣別」だけが条件です。寮生諸君の賢明な判断を期待しています。


と掲載されている。
 団体交渉は「衆を頼んだ」もので「訣別」すべきものとして否定し、代わりに一部の者だけが参加できる所謂「ボス交」でなくては交渉しないと言ってきているのである。熊野寮にも同様の通知が来ている。

 さて、「衆を頼んだ」ということについて私は暴処法を連想した。
暴処法は「暴力行為等処罰ニ関スル法律」であり、その第一条には

団体若ハ多衆ノ威力ヲ示シ、団体若ハ多衆ヲ仮装シテ威力ヲ示シ又ハ兇器ヲ示シ若ハ数人共同シテ刑法 (明治四十年法律第四十五号)第二百八条 、第二百二十二条又ハ第二百六十一条ノ罪ヲ犯シタル者ハ三年以下ノ懲役又ハ三十万円以下ノ罰金ニ処ス


とある。「団体若ハ多衆ノ威力ヲ示」すことが犯罪とされうるのである。
 そもそも暴処法は仮名書であることから分かるように戦前に作られた法律である。労働運動や農民運動を弾圧する目的をもった治安警察法が運動の高まりによって廃止されたものの、それを上回る治安立法として1926年に暴処法が制定された。それは前年に制定された治安維持法を補完し、治安弾圧に最も利用された法律となったのだった。戦後も存在し続け、しばしば労働運動の弾圧に利用された。暴処法は集団性が構成要素となるものである。
 川添副学長を先頭に大学当局が「衆を頼んだ」団体交渉を嫌いなくそうとしていることは、戦前期の法体系の下で成立した暴処法と同じ発想をもっていることを示している。同時期に大学当局が警察と一体となって学生を弾圧していることを考え合わせれば、京都大学はついに暴処法を体現してしまったのではないだろうか。
 暴処法は先述の通り労働運動や農民運動を取り締まるためのものであり、そのため資本家や地主たちが必要としたものでもあった。つまり暴処法は階級支配の問題でもあった。大学が暴処法の発想で学生を弾圧することは、大学当局と学生が決定的に対立していることを示しているのである。

 近年の暴処法弾圧について全国的に見れば、大学では2009年法政大学で、労働運動では今回のバリスト弾圧の直前2016年2月中旬に関西合同労組が団交の場で暴処法が適用された(前者は起訴されて無罪、後者はすぐに釈放)。特に法政大学については、そこの教訓が京大の同学会運動に流れているため、直接的に関係しているし、今回のバリスト弾圧が「京大の法大化」を意味している。

 大学の中で当局と学生とが「階級的」に対立している構造が今回の弾圧と並行する学内問題ではっきりした。しかし法大の暴処法弾圧も、京大のバリスト弾圧も団結した力によって無罪を勝ち取ることが出来た。これは重要なことである。学内で広範な団結を形成していくことがいつにもまして問われている時期に入ったのである。
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京都大学同学会中執

Author:京都大学同学会中執
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